Is nearly transparent and infinitely

観察したものについてのつぶやき

つまるところ

つまるところ人間の幸せなんていうものは健康で、友人に恵まれ、恋人や家族と同じときを過ごし、ときどき身体を動かし、さまざまな文化に触れ、美味しい食事ができて、夜布団でぐっすり眠ることなのかもしれない。そこにちょっとしたもっとひとに認められたいだとか、やりたいことを成し遂げたいだとかが欲で、それを満たすために努力することさえできれば十分なんだと思う。

だいたい人間関係が良好であれば大抵は幸せで、金銭問題は特段、幸せと相関関係はないのではないだろうか。能力とか容姿とかどうにもできないことは無意識的に 無視できるだろうし、承認欲求は人間関係が良好であればそれなりに満たされているのだから、名誉や地位にはこだわる理由もないだろう。

 

ぼくは。。。。幸せではない。。。

 

人間関係がそもそも僕の周りにはほとんど存在しない。僕はいつもひとりだ。友達がすくない。よっともだらけだ。良好かどうか以前に良好になりうる社会的な構造が僕のまわりには存在しないのだから、幸せの可否を判断しうる基礎的材料がそろっていない僕は、幸せかどうかという問題の上にも存在していないのだろう。

たとえ一時的に社会構造の中に入ったとしても、やはり良好な関係を築くことはかなり難しい。幸せになる方法については理屈では理解しているのに、全くできないというのはなんたる不可逆的人間であるか。

2014.9.17.wed. 18:40~

日常と非日常の差は架空の光景に対する既視感によるものだと思う。

すなわち、その意味では階段とエレベーターがある光景は私にとっては既視感のある日常よりのものであったのだと言える。

 

この日、私はひどく眠かった。

 

どちらかというと渋谷から東横線に乗って、家のベットでぐったり目を瞑りたかった。

それでも赤坂見附に向かったのは何より未知の他者に期待を抱いていたからだ。つまり、自分の人生の責任から逃れる妄言を探す自意識の依存だ。

 

 

前日養成所終わりに仲間たちと終電過ぎまで飲んで、新宿のネットカフェで始発まで過ごした。そのまま家に帰宅しお風呂に入ってすぐに出版社のアルバイトに向かった。アルバイト先では常に睡魔と戦いつつ、時々トイレで寝ていた。というより気を失っていた。18時にアルバイトを早めに抜け出して、渋谷駅から赤坂見附に早足で向かった。赤坂見附はなんというか、都会だ。都会のこじんまりとした集約がされており、妙な安心感と興奮と新鮮さが入り交じっている。路地裏に抜けるといっぺんした静寂をもたらす新鮮な風がコンクリートを包み込んでいる。いかにも都会のスマートな小金持ちの若者が好みそうな空間である。決して都会から隔離されているわけではないが、郊外の路地裏ほど時の流れから切り離されているわけでもない。臆病で寂しがりやな人々は静けさと安心感の両方を欲している。夏休み最後の水曜日の変哲ない光景は、私の睡魔に抑えられそうなふあふあした瞳の中でぼんやりとした蜃気楼に変化していた。

 

 

トレジャーハンターに出てきそうな行き当たりに次の道が書かれた地図を見ながら、目的の建物にたどり着いた。駅を下りてからかなりの時間を要した。スマホ片手に不慣れな目つきをしている人々とすれ違うたびに、自分と同じ目的地を目指しているのではないかと推測していた。できるだけ自分の目的を悟られないように、同じタイミングで行かないようにしようとしているうちに、ずいぶん時間がかかってしまった。目的のマンションの軒先にあるインターフォンを押し、自分の名前を発した。その向こう側に誰かがいることを意識しながら、無意識に声を発した。マンションの扉が開いた。マンションの中に入ると長い廊下があった。このとき、私は架空のナニカとの既視感を感じ、非日常に自分がいるような錯覚にとらわれた。もちろんそれは錯覚であった。現実には映画や小説のように外的な架空のナニカに出会い、世界が変化することはない。すべて自分の中から表れる内因的な動機による変化だけである。

 

エレベーターに乗り、指定された階数を押す。扉が開くとまた同様に赤い廊下が平行に現れる。おそらく左だろう、と感じながら右に向かう。未知のモノに対する不安がためらいを生み、身体を動かす。おそらく今までも、いや確実にこのような行動を繰り返していた。人とのインタラクションをできるだけ避けるような行動を、理性的な意識と反射的な身体動作でとるのだ。インターフォンを押す。扉が開く。T氏がいる。イメージとそう変わらないふわふわと周囲を包み込むような雰囲気がそこにはあった。顔は思っていたものと良い意味で異なっていた。より未知のものに対する期待値が上がった。T氏は目を逸らしやや傾き気味の姿勢で私を部屋の中に招いてくれる。私はほとんど正面にのみ視野を向け、指示されたところへ荷物を置いた。まだ私ひとりしかいなかった。T氏は私にさっそくはじめましょう。手をぶらぶらさせてください。一時間ぐらいずっとぶらぶらさせるので、疲れないようにやってください。というような趣旨のことを言った。私に対してというより、そこにきた誰かに対していつもいうようなルーティンの音階で言った。私は部屋の中央からやや右寄りに位置を取り、指示通り手をぶらぶらさせ始めた。

 

しばらく経つと私はぶらぶらさせる動作を途中で辞めてしまったり、休憩したり、違う動作をしてはいけないのかという疑問を抱いた。この手をぶらぶらさせるという動作の意図が全くわからなかったので、なにか指示にない行為をすることで、行為の効果が変容することを恐れたのだ。また何か指示にない状況にいることも恐れた。私はT氏にポケットの中に入っている携帯を鞄にしまうため、動いていいか尋ねた。T氏はさも当然といったトーンでいいですよと言った。そんな厳しいルールがある場所ではないので、緊張しなくて良いですよと言った。おそらく社会的なスクリプトとして当然のことを訊いた私が、緊張しているものだと感じ取ったのだと思う。私はそそくさと鞄に携帯電話をしまった。再び同じ位置に戻り手をぶらぶらさせ始めた。この行為を私は無意識的な動作に意識を向けずにぼんやり行っていたと思う。だから瞳が虚ろで周りを見れていなかった。おそらくその様子を見て緊張している、とT氏は思ったのだろう。ゆっくりと手を振り子のように動かしながら、私は部屋の様子に目を向けた。じっくりと目をキョロキョロさせながらできるだけ部屋の情報を把握するように意識を向けた。客観的に見てその様子はやや挙動不審で不快なものであったのかもしれない。初対面の他人の家に来てそんなことをするのは失礼なことかもしれない。何かを確かめるように、何かを分析するように、疑念に満ちた人間の行う醜悪な癖だ。時々考え深げに一点を見つめたり、近くのクッションに書いてある絵をも見つめたりした。WSを受けている最中も、本棚の本のタイトルに目をやったり、玄関脇にある天然水の容器を見つめて様々な推測を行っていた。あるいは心の中でWSで語られることと全く別の事柄について考えていた。というより発話の7割以上は耳から耳へ抜けていってしまうのは私の恒常的な性質である。それは良いとして私があたりをキョロキョロと見ていたのは別の意図があると思う。別にT氏について何か探ろうとか、なにかしらのヒントを得ようとかそういうことをしようとしたわけではない。おそらくそれは実質的には何の意味も伴っていない身体のみの動作だ。つまり演技である。もちろんそうしようとして行ったわけではないだろう。ただそこにT氏がいなければ、私はこんなにも目をせわしなく動かしたり、思慮深く一点を見つめたりはしなかっただろう。私は自分の価値について深く疑っている。あるいは深く疑っていると他者に思わせようとするそぶりを常にとる。ここではT氏に自分の価値を認識してもらうために、演技をしていたのだろう。名探偵が殺人事件でなにか手がかりを探すように意味のない行為と無価値の自分に、価値を見出させるため、わがままを言って親の注意を引く子供と同様のロジックを働かせたのだ。反抗期の子供か思春期の中学生さながらのロジックが意識の根底に常に渦巻いている。

 

もう1人の参加者が現れて間もなく、T氏は私にいくつか質問して話しかけてくれた。ちなみに次にきた参加者は大学生特有の若々しさを持ったさわやかなイケメンだった。私は大学3年生だが既に浪人留年を繰り返し、通常ストレートで卒業する年齢を越えているし、そもそも元々さわやかさのひとつも併せ持っていない。もしこの出来事を映画かなにかにするならば、彼は絶対に必要なキャラクターだと思った。T氏は私が芸人の養成所に通っていることについて関心を寄せているように、話しかけてくれた。私にとって芸人の養成所に通っていることよりも、何倍もの努力を積み重ねて手に入れた大学生活についてきいてくれるほうが自己の価値を認められる気がしたし、それを望んだが、彼は一度たりとも大学については私に尋ねなかった。私は養成所について話しをした。T氏は友人にお笑い芸人がいると言っていた。T氏と同じ大学出身のお笑い芸人の名前が浮かんだがそれ以上彼はなにも言わなかった。私もそれについてなにも尋ねなかった。T氏と私は同じ大学であったように思う。だからこそあえて訊かれてもいない大学に関することを、露出することを恥ずかしいものだと思ったし、実際にそうであったと思う。でも、私は大学の名前ぐらいしか一見のひとに興味を抱かれる価値はないつまらない人間だと心のどこかで思っている。だからこそあえて私はWSに申し込むとき、大学のメールアカウントから連絡を行ったのだ。非常に小物で恥じるべき存在である一方、空虚なプライドをもち自己を肯定しようと必死である。

 

WSに参加者が次々に集まってきた。参加者はバラエティに富んでいた。見た目やパーソナリティもそれぞれが異なり、さまざまな感情を抱き、行動をしていた。T氏は私と同様に彼らにも手をぶらぶらするように指示した。みんな同じ指示を提示され、別々の動きを繰り返している。微妙に変化した指示と個々の異なる認知により、手の動きは全く別ものとなっている。あるひとはこの行為の意味に疑問を抱き、あるひとはT氏の指示を素直に受け止めてるというよりは、何かしら疑いと否定の心を持っているようにも思えた。またあるものは従順にT氏の指示を受け入れ、弱々しく見えた。あるものはその場をそのままに楽しんでいるように見えた。私はというと出来るだけT氏の求めている行為を行うようにつとめた。私は素直に指示を全て受け入れた。私の目的は、このWSによる最大の享受を受け入れることそれだけだった。このWSのタイトルが東大合格講座ならば、私は東大に合格すること以外に望むことはなかった。講師も受講者もそれを望み、双方の努力と歩み寄りでしかそれは得られないからだ。T氏の意図や周囲の状況などどうでもいい些細なことであった。だからできるだけT氏の言葉をしっかりと把握し、聞き入れるように素直でいようと心がけた。しかしT氏は私にたびたびぼんやりしている、と言った。それは無理もなく、私は丸2日寝ていないのだ。また以前精神科で診断を受けたように私は長期間一方的な人の会話を聞き入れることができないのだ。ぼんやりし、なにを言っているのかよくわからなくなっていった。他の受講者が中心となっているとき、私は意識を失っていた。おそらくうたた寝していたのだろう。つまり心では素直にこのT氏のWSをきくことを心がけていても、身体は抵抗していた。だからであろうか。私は十分にT氏のレクチャーを理解できていたとは思えない。それでもT氏はたびたび受講者にどうでしたか。どう思いましたか。なにかわからないことはありますか。というようなことを尋ねていた。この質問にどんな意味があるのか私にはわからない。少なくとも、その言葉どおりの回答が欲しいのならば適切な質問ではないし、それは不可能だろう。なぜならここにやってくる人々の多くはコミュニケーションに関して何らかの齟齬を抱いているのだ。自分の精神状態や感情を適切に表現し、発音することができるひとならばそもそもここにいない。自分の感情を適切に表現するというのは、かなり高度なコミュニケーションの技能だと私は考えている。私は心理学を修めたことはないが、明らかにその場をスムーズに流すため、T氏の流れに流されているだけの回答をしている声色がきこえた。もしそこで疑念を口に出せば一旦流れはとまり、身体で理解が進むようにT氏はさまざまな技を施してくれた。T氏はおそらく心から受講者には満足してもらうことにつとめようとしていたのだと思う。これは一種のサービス業なのだ。

 

私はずっと最初から最後まで素直な姿勢を心がけていたが、今思うと全て演技であったように思う。T氏にわかりましたか、と訊ねられわかったと答えたことも実際にはほとんど理解していなかったし、そもそもどのレベルで理解することがわかったことになるのかもよくわからない。そのようなあいまいな感情を適切にその場でレスポンスする反射神経や頭の回転ももってはいない。だからあいまいにあるいは適当に質問に答えていった。非常に不誠実な受講者であったように思う。他者に関して言及するつもりはないが、他の何人かも理解しているとはとても思えない回答をしていた。しかし彼らはそれぞれ満足し、何かを得たような顔をしていた。あるいはそう思い込もうとしているのかもしれない。おそらく彼らの日常は今日をもって特段変わることはないし、それは私も同様だ。他者に期待し、自発的に考えないと人間は子供のまま大人になることは永遠にない。他の受講者が帰ったあとT氏が言っていたことだが、彼らはドアを静かに閉めてはいない。私はそれをT氏が観察することを訊いたので、ゆっくり閉めたが、すでに意識化したそれに意味はない。T氏は受講者全員に同じ態度で接していたわけではなかった。T氏はいわばこの空間の支配者であり、空間で唯一の自発性を持った行動を自由に行える人間である。T氏から何らかの教えを受けたり、話しかけられたり、ほめられたりすることは少なくともこの限られた空間の短い時間軸においては、世界からの絶対的な承認と同義であった。それぞれが求めているものとコミュニケーションの弱点が異なり、それに合わせT氏は細心の注意を払い、彼らの求めているものをできるだけ埋めるようにじっくり観察し、それぞれに価値のあるものを与えようとしていた。しかし彼が与えようとしているものと、彼らが望んでいるものに齟齬がなくとも、彼らが本当に必要なものを自分で知ることがない限り、全く意味のないものになってしまう。T氏は彼らにとって救世主ではないし、そうなることを望んでいない。ただ彼らにある穴を埋める手助けのヒントを提示しているに過ぎない。たとえ無意味だとしてそれに気づいていたとしても、どうすることもせずただ立ち尽くすのではなく、どうにか自分のできる限りの全てを提示して他者を助けたいと思うのは人間の根源的な欲求であろうか。虚無感と諦めを感じつつ、割り切ってWSを開催しているT氏は大変人間らしい、人間味があるように思えた。

 

私は結局はなにを望んでいたのだろう。自分を承認してほしかったのだろうか。理解してほしかったのだろうか。あるいはもっと単純にコミュニケーション能力に劇的な変化をもたらしたかったのだろうか。そもそも劇的な変化など起こりえないことはもうすでにとっくにわかっていた。他者や外世界に期待をすることは自分が変わることの背理である。ナンパ術を教えてほしかったのだろうか。ふつうの人間になりたかったのだろうか。私の脳の動きを理解してほしかったのだろうか。発達障害セロトニンや動作性IQ、言語性IQに関する知識をひけらかし、自己の悩みに耳を傾けてほしかったのだろうか。お笑い談義や大学について雑談したかったのだろうか。T氏と友達になりたかったのだろうか。ふつうにひと対ひととして対等に会話をしたかったのだろうか。コミュニケーションについての研究対象としてT氏のことを深く知りたかったのだろうか。コミュニケーション能力を磨いて恋愛ができる人間になりたかったのだろうか。セックスがしたかったのだろうか。

確実に言えることはこのすべてを私は望んでいた。

そして個々諸処の問題がひとつも解決されなくとも、私はセックスがしたいと思う。自己承認とか理性とか感情とかそんな裏理論なんてどうでもいい。私は人間として生きる根底にある性への欲求を純粋に十分すぎるぐらい抱き過ぎている。たぶんセックスをしないかぎり私のこのもやもやした埼玉県のような閉塞感はなにも変わらない。セックスするためにはどうすればいいのか。そういう葛藤を私は帰りの電車の中でずっとしていた。そこにはこのWSもT氏も無意識の方向へ移動していた。おそらく私はT氏がいうように学習できない側の人間なのだろう。自分でそう感じているからではない。そう思われるような客観的なふるまい、感じ方がどこかにあるはずだからだ。それでもなお私は学習できる側の人間になるため、強引にでも惨めにでも生きている。

 

ああ、セックスがしたい。

 

 

コンプレックスの複雑化

コンプレックスは複雑化した思考法から生まれる。がんじからめにからまり接点が見えずいったり来たりの出口が見えない糸が、互いをさけあうようにからみあい反芻し意味不明な言語情報として流れを生み出す。よくわからないものに対する不安や恐怖は歪んだ気持ちを抱かせる。悲観的、ネガティブといった類の概念はそこから生まれる。反対にシンプルな思考はポジティブな概念を生み出す。シンプルで簡素な考えはスピーディーで無機質的な意思決定を引き起こす。時として過ちをおかすがそれに気づいていないように見えるぐらい、新たな行為が新たな育みを始める。社会的な成功とはすなわちその反復行為であり、内面的な思考停止あるいは意識的なしに対する無視である。

コンプレックスは複雑化しない限り感じることはない。

価値

たとえば大学の名前。

自分のことを話すとき、私は必ず大学の名前を出す。なかなか出す機会がないとそわそわして話しに入れないことがある。そういう行為を私は非常に惨めで不快なものだと思っているが、口にだしてしまう。スネ夫のことをのび太が見てなんて恥ずかしい奴なんだ、と言うロジックに近い。

 

子供のころから、ずっと自分だけ浮いているような感覚がしていた。正確にいえば、客観的な視点から見て私は浮いていた。自分には誰もよってこない、話しかけてこない。もちろん自発性の乏しさから生じる卑屈な理屈であるが、事実として隔離されているような気がしていた。

 

どうして自分にだけ、人が寄り付かないのだろう、話しかけてこないのだろう。自分には価値がないのだろうか。価値がないから、人は関わりをもとうとしないのだろうか。

確かに周囲を周到に観察してみると、人気者には価値があるように思われた。運動神経が良い、話していておもしろい、かわいい、明るい、友達が多い。そもそも人気者それ自体にも価値がある。意識的か無意識的かはあるにせよ、何かしらのメリットを感じない限り、人は他者と関わりを持とうとしない、そんな風に考えるようになった。もちろんそんなこと言語化して脳内で考えていたわけもなく、あくまで無意識的にである。

 

だから私は良い大学にいこうとした。良い大学にいって、有名人になって、人々から価値あるものとして認められたいと願った。周りの人間のことなどできるだけ考えず、自分の自己承認欲求を満たすため、自己顕示欲の塊と化していった。

 

ある日気がついた。

 

そのロジックの愚かさに。そんなことしても、私には友達はできないし、周囲のひとに認められることはないと。決して幸せにはなれないと。

 

どんなに無価値に見えるひとにも、そのひとを認めるひとはいて、友人に恵まれ、幸せに過ごしていること。

友達と談笑し、遊び、日々を楽しくいきること以上に価値のあることなど一体どこにあるのだろうか。そんな単純なことを多くの人は生まれながらに知っている。そして実践している。私はたいていの中学生や小学生が知っていることを、20歳を過ぎるまで知らなかった。もしくは忘れていた。視野の狭いものが最も醜いと感じていたのに、自分が最も醜いことは気づかずに過ごしていた。

 

ではどうすればいいのか。

 

そうやってもうかれこれ2年がたった。

 

もうブランド大学という価値は手に入れている。

 

私は今、有名人になろうとしている。

 

もう一度同じことを繰り返そうとしている。

 

反芻し、推敲し、反芻し、その繰り返しのループで生活は成り立っている。

 

朝、夜明け、起きる

もう何年も朝起きていない。実際には朝起きることはあるし、起きたときが朝ならいつも朝起きていることになるのだが、体感として起きている感覚がない。この文章を書いている今も、夜明け前の4時53分だ。少なくとも1ヶ月以上、まともに朝、起きることなんて、14歳ころから一度もないことは確実に思える。私は22歳になった。あと数ヶ月で23歳になる。無機質な数字にはなにも意味はないだろうが、実質的な生の内容にもたいして意味づけはなされていない。無機質な数字と同様に無機質なデジタルチックな時の流れのみが、22という数字には含まれている。

 

ただ、それだけだ。

 

一日をどう使おうが、そのひとの自由だ。個々人に与えられた生来の権利であるはずだ。しかし実際のところ、自由に使うことが即ちその人の自由な望みであるとは限らない。いやおそらく、ほとんどそうではない。私は一日中スマホでネットニュースをにらめっこすることやベットから動かず携帯ゲームをすることを望んだことはない。少なくとも思考的な営みにおいては。高校生の休日がたいていどのようなものであったか、どういうものであるべきかなど、私は知らなかった。もしくは知ってはいても、どうすることもできなかった。

 

私は気がついたとき、なにものでもなかった。誰しもがなにものでもないし、なにものにもなれないのかもしれないが、少なくとも社会的なレベルにおいてなにものか、にはなっている。ニートフリーターもなにものである。

20歳で大学生になった。なにものかになれる気がした。そう思うことにつとめた。本当はわかっているのに、答えらしきものから必死で逃げるように、考えないように、目の前に虚像を並べた。

 

そしてまたなにものにもなれなかった。

朝、起きなければ、永遠に夜はこない。