Is nearly transparent and infinitely

観察したものについてのつぶやき

つまるところ

つまるところ人間の幸せなんていうものは健康で、友人に恵まれ、恋人や家族と同じときを過ごし、ときどき身体を動かし、さまざまな文化に触れ、美味しい食事ができて、夜布団でぐっすり眠ることなのかもしれない。そこにちょっとしたもっとひとに認められたいだとか、やりたいことを成し遂げたいだとかが欲で、それを満たすために努力することさえできれば十分なんだと思う。

だいたい人間関係が良好であれば大抵は幸せで、金銭問題は特段、幸せと相関関係はないのではないだろうか。能力とか容姿とかどうにもできないことは無意識的に 無視できるだろうし、承認欲求は人間関係が良好であればそれなりに満たされているのだから、名誉や地位にはこだわる理由もないだろう。

 

ぼくは。。。。幸せではない。。。

 

人間関係がそもそも僕の周りにはほとんど存在しない。僕はいつもひとりだ。友達がすくない。よっともだらけだ。良好かどうか以前に良好になりうる社会的な構造が僕のまわりには存在しないのだから、幸せの可否を判断しうる基礎的材料がそろっていない僕は、幸せかどうかという問題の上にも存在していないのだろう。

たとえ一時的に社会構造の中に入ったとしても、やはり良好な関係を築くことはかなり難しい。幸せになる方法については理屈では理解しているのに、全くできないというのはなんたる不可逆的人間であるか。